ロシアからドイツへ行ったマトリョーシカ
もとはロシアの民芸品マトリョーシカ。
ロシアからドイツへ、そして今度は海を渡ってはるばる日本へやってきました。 マトリョーシカ第一号が削られたのは1898〜1900年の間。(1900年のパリ万博で、マトリョーシカは世界的デビューを果たします。) この第一号は、モスクワ郊外のセルギエフ・パサートという町のおもちゃ博物館に飾られています。 ある説では、このマトリョーシカ第一号は日本の「フクルマ(フクロクジュ:福禄寿=箱根の入れ子七福神)」がもとになっているとか。 *ロシアでは“フクロクジュ”という発音ができず、“フクルマ”に。 このときの福禄寿人形も、上記おもちゃ博物館に飾られています。 福禄寿人形を見たロシアの工芸職人が、まねて作って誕生したのがマトリョーシカ。 いろいろな説がありますが、この一説は面白いね。 日本からロシアへ、ロシアからドイツへ、ドイツから日本へ。 福禄寿人形が姿を変えて戻ってきたよ。 マトリョーシカは派手な色合いやお化粧をした子など、いろいろな柄がありますが、こちらの子の色合いはカントリー色が強くて可愛いです。 ●サイズ(身長)* 一番大きな子:8.5cm ※Made in RUSSIAのラベル付きです。 ※下に敷いているコースターはついておりません。 |
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